Profile

市川哲也 プロフィール

市川哲也プロフィール

初めまして、市川哲也と申します。

お忙しいあなたに このページ を読んでもらっているのですから、
出来る限り、素の市川を自己紹介したいと思います。

現在の立場から、正直言って書きたく無い事もありますが、
あなたと信頼関係を築きたいので、正直にお話致します。


下は 18歳 から 上は 71歳 の方まで、幅広い年齢層の方々に対して、月収92万円以上を獲得させる事に成功致しました。

私は、現在 埼玉県 に住む35歳です。

今でこそ、起業プロデューサーという立派(?)な肩書きで、
多くのクライアントさん達とお付き合いをさせて頂いていますが、

私自身、立派と言える学歴がある訳ではありません。


それどころか、高校3年生の2学期の通信簿は、
見事にクラスで最下位だった。という経歴も持っています。
( 正直、この事は言いたくありませんでした。)

お勉強は不得意というよりは大嫌い。
中学 ・ 高校と、やれば出来る子 と常に言われていた記憶があります。

最終学歴は、限りなく高卒に近い専門学校 ( 音楽系 ) 卒です。


専門学校を卒業後、1年間はフリーターとして
焼き肉屋さんの深夜シフトでアルバイトをしつつ、

昼間はパチプロのような生活をしていました。
( 正直、これも書きたくなかったのですが・・・ )

バイトのお給料12万円程度を、どうやってパチスロで25万円にするか?
そんな生活をしていた20歳の頃。


世の中そんな話が上手くいく訳もなく、複数の友人から借りた借金が
合計で60万円を超えた時・・・就職を決意。


印刷会社の工場勤務で、印刷の職人として約2年間働き、
この頃には、友人に借りた借金は全て完済していたモノの、
調子に乗って買ってしまった、国内では超大型の四駆の車。

4500cc の排気量で、燃費ってなんですか? というくらい、
ガソリンをたれ流して走る当時の愛車のおかげで、
消費者金融デビューを、この頃してしまいました。
( そう言えば、重量税も8万円を超えてましたね。)

もちろん、その時もパチスロをやっていた為、
借り入れ金額は青天井で増えて行きました。


消費者金融の限度額MAXが3社を超えた頃、
当時の自分の収入では、その返済にかかる時間に驚愕し、転職を決意・・・

選んだ先は、フルコミッションの営業マン。


今考えれば、かなり無謀な事をしたと思います。
フルコミッションというのは、基本給がありません。

売ったら売った分だけのお給料が入ってきますが、
逆に、1ヶ月全く売れなかったら、給料は¥0-という世界です。


しかし、ここで持ち前の明るさと、人懐っこさが幸いしてか?
3ヶ月を経過する頃には、だいぶコツを掴み、
1年を過ぎる頃には、全国でTOPレベルの営業マンに育ちました。

余談ですが、この時に “ 必死 ” という言葉の意味を知りました。


そして、私を人生のどん底へ突き落とした事件を迎えてしまいます。

この調子で営業成績を上げて行けば、借金の完済も時間短縮が出来る。
そう考えていた矢先、私に独立の話が舞い込みます。

当時の私は、営業成績が良かった事も重なって、
少々、調子にお乗りになっている感は否めませんでした。

なので、その話には、ほぼ即答で解答。
もちろん、なんの根拠の無いGOサインです。


しかし、世の中そんなに上手く行く訳がありません。

世間知らずの24歳 若輩者 が、勢いだけで独立できるほど、
世の中は甘くありませんでした。
結果、私のちょっとしたミスのせいで、話が全て水の泡と消えました。


私は、ほんの2ヶ月間で 職 を失い、本当に大きな “ 超多額 ” の借金を
背負う事になりました。

金額は触れませんが、軽く自己破産クラスを超えています。
ちょっとした自社ビルを持っている会社が、軽く倒産するくらいの負債です。



・・・今、自分の経歴を冷静に振り返ってみると、

本当に、どうしようもないヤツ。という言葉が似合うと自分でも思います。
いや、その言葉しか見当たらないと言った方が適切でしょうか。



そんな私が、現在、なぜ? e起業プロデューサーとして、
幅広い年齢層の方々、300名以上の人達を、
パソコン1台で月収92万円以上 稼がせる事が出来たのか?

そして、現在でも数多くのクライアントさん達を抱え、
次々にビジネスアイディアが溢れ出るような自分になれたのか?


話は8年ほど前にさかのぼります。


当時、負債の返済が出来るはずもなかった私は、
どうする事も出来ず、逃亡を図りました。

逃げよう―。

そして、いよいよとなったら、全てを終わらせよう。
本当にそう思っていた程です。


その時、ある方 ( 後に私のシンクタンクとなる人です ) から、
連絡があり、強引な呼び出しを受けました。


独立話の際に、その方も関わっており、多大なご迷惑をかけてしまった。
という 追い目 から、その場には行きたくなかったのですが、
目に涙を浮かべながら、呼び出しの場所に出向くことに。


その時、こんな提案を受けました。

「 お前が最後まで諦めない。とここで誓えるのであれば、
  俺が、最後まで付き合ってやる。」 と。


「 本気で逃げない覚悟と諦めない意地があるなら、
  負債は俺が肩代わりしてやる。 」 と・・・。


思ってもみなかった、ドラマのような展開でした。

私はこの方との 出会い によって、人生が劇的に変わったと言えるでしょう。



2003年の夏 ここから、私の生涯で一番 過酷 な日々が始まりました。


インターネットは可能性がある。という事を知り、
早速、友人に頼み込み、使っていなかったノートパソコンをもらいます。

OSは Windows98 ハードディスク容量が 5G 程度しかない、
現在では考えられないほど、著しくスペックの低いパソコンです。
( 当時、既に WindowsXP が出ていました )

実は、これが、私のパソコンデビューでした。

人差し指しか使えない状態、しかも劣悪スペックのパソコン。
回線は 64K しか出ないモバイルカード。


その状態で必死に勉強を重ね。ネットオークションにチャレンジ。

商品は実家の近所を回り、廃品回収大作戦。


もちろん、最初は上手くいく訳がありませんでした。


しかし、私には営業時代に培った
売る イロハ という物がある事に気付いたのです。

人が、なぜ? 買い物をするのか?
なぜ? その商品が欲しいという感情になるのか?


その イロハ を実践に活かすようになってから、
少しずつコツを掴むようになりました。

結果、シンクタンクのアドバイスもあり、
オークション開始から2ヶ月で¥2,200,000- という利益を手にします。


初めて パソコン を 触った ばかりのど素人にも、
こんな結果が出せるんだ!
本気でインターネットという通信媒体の可能性に気付いたのです。

ただ、その金額は負債全額の1/10にも満たない金額である事だけが、
痛烈な事実として残ってはいましたが・・・



ネットオークションで順調に売上を伸ばす中、
時代は 2004年 を迎えていました。

私はこれまでにした事の無いような、猛勉強の甲斐あってか、
簡単なホームページならば、作成が出来るような技術が身についていました。


当時、インフォプレナーという言葉も無かった頃です。
私は、手作り感丸出しのダサいホームページを使い、
自分が行ってきたオークションの経験を1冊の電子書籍として、
販売を開始しました。


よし! これでイケるぞ!

・・・・いや、イケる訳がありませんでした。


当時は、現在ほどインフォプレナーさん達もいませんでしたが、
私ほど、ダサいホームページで書籍を販売している人は、
1人もいませんでした。


このままではイケない、どうにかして先駆者との差別化を図らなくては・・・
ここで、行き止まりになってしまう。


そう考えた私は、以下の文言をHP上に載せる事にしました。

正直に申し上げます。私は、1年前に初めてPCに触った、ズブのど素人です。でも、そんな私が実践し、利益を上げられた方法です。パソコンの知識は、確実にあなたより私の方が低いでしょう。でも、私は自分の目で見た事、自分で経験した事は、惜しみなく、あなたにお伝え致します。共に学び、共に成長し、共に豊かになれたら 最高 です。

当時、情報販売ビジネスと呼ばれるモノは、
ノークレーム、ノーサポートが当たり前でした。


私が先駆者 ( 実力者 ) の方々と差別化を図るために行なった方法は、


質問があったら、何でも聞いてください。
私に出来る事ならば全てメールサポートします。

という、当時では誰もやりたがらなかった、サポートを付ける事でした。


現在、当時から活躍している情報ビジネスの先駆者は、数多くいますが、
その方々の中でも、メールサポートというモノを取り入れたのは、
私が いちばん最初だった と自負しています。

( 当時は、サポートなどという面倒な事は誰もやりたがらなかった訳で )



ここから、また私の 怒濤 の 勉強三昧 の日々が始まります。


何せ、パソコンはど素人なみのスキル、簡単なHPが作成できるくらい、
ホームページの転送も、ホームページビルダーで直接行っていた程です。


FTPソフト・・・??
メタタグ・・・??  ・・・なんだそれ? という様に、


お客さんから質問をもらって、答える為にその勉強をし、
とにかく時間をかけずに調べなくてはならない。という毎日が続き、


自分でも 感心 してしまうくらい、勉強熱心な1年でした。
( この時期、“ 一生懸命 ” という言葉の、本当の意味を知りました )


ネットの販売戦略 ( マーケティング ) の勉強もこの時期から始め、
現在でも、最新の情報を常にリサーチ 勉強 → 実践 しています。



2005年、私は 8冊の e-book を発表 ( 無料・有料込み ) しました。

アフィリエイトのノウハウも、この時期から取り入れ、
メルマガの読者の増やし方、ブログの始め方、
誰でも出来るアクセスアップの方法、

そこから、販売に繋げる、ブランディングノウハウ etc.


もちろん、日々のメールに全て1人で返信を行ないながら。

その取り組みが認められてか? 私にもファンという人達が、
付いてくれるようにもなっていました。

この時期、あの超多額の負債も、全返済まで残り10%を切っていました。


ただ・・・正直なところ、私の体はボロボロでした。
1年間、法事や祝い事がある日以外は、1日17時間ほどフルで働いていました。

いや、冷静に考えると、丸々2年間です。


私の身長は、174cm なのですが、高校生の頃、65kg あった私の体重は、
当時 51kg しかありませんでした。
スリムというのを完全に通り越して、ガリガリの体系です。

親には、クスリでもやってるんじゃないか? と本気で心配される始末。

実家の近所に住むおばちゃん達には、哲ちゃんは ひきこもり になった。
あんなに明るい子だったのに・・・とウワサが広がる始末。


このままではいかん! 誤解も解消し、太らねば・・・

そう気付きはじめた私は、自分にチカラを貸してくれる人達を探そう。
そう考えるようになりました。


そして、スカイプを使った 個別サポート の受講者の人達から、
自分とリズムとテンポが合い、且つ、諦めないという意志を持っていると、
感じた人達に、そして何より、


共に学び、共に成長し、共に豊かになる。


という私の理念に賛同してくれた人達に、

私と一緒にコミュニティーを立ち上げないか?
というオファーを出し始めます。


そして、2006年6月 その企画に賛同してくれた6名と、
バーチャルビジネススクール e-学び舎本舗 を立ち上げました。


その結果、勉強が嫌いで嫌いで仕方なかった私とは一切無縁のはずだった
「 初代 校長 」 という肩書きが付くようになりました。

2006年度中に、月額料金を支払ってくれる会員さん達が1000名を超え、

翌2007年には、合同会社JAPANPOWER ( JAPANPOWER.LLC ) として、
法人登記を行ないました。私に会社代表という肩書きが付きます。

2007年には、正式スタッフも1名増え、
新規ノウハウを検証してくれる会員さん達 ( 別名:検証部隊 ) も、
20名を超える規模に増えて行きました。


2008年 私の体重も徐々に回復し、68kg を超え 30歳の誕生日を迎える頃、
私は、ある一大決心をします。


私が血反吐を吐くような思いをして、やっとカタチに出来たこのビジネススクールを
一番弟子である 野本愛貴 に任せようと。


そして、2008年 秋 e-学び舎本舗 を、副業大学INNC に改名し、
野本が学長に、私はプロデューサーという立場に回る事にしました。



そして、2009年 年末 私は人生における
さらなる一大決心をする事になります。
これは、正直に本当に大きな決断でした。


自らがゼロから創ったコミュニティ、そして会社までも、人に譲る。
変な言い方になるかもしれませんが、「 社長が会社から独立する。」

そんな決断をしたのです。

当時の詳しい内容は、こちらに全文が載っております。



現在は、新規ビジネスモデルのリサーチ、テキスト化はもちろんの事、
ネットの世界だけではとどまらない JVコンサルタント としても、
活動をしています。


正直なところ、忙しい日々を送っていますが、
毎日勉強が出来る、過去の私では考えられなかったような、
それを充実している。と思えるような日々を送っています。



私は、本気で過去の自分を、どうしようも無い奴だったと思えます。
ですが、今ではそれも 笑い話 に出来るようになりました。

勉強が大嫌いだった。努力が大嫌いだった。夢など持てなかった。

そんな感じだった自分が、ここまで成長出来たのも、

私にチカラをかしてくれたスタッフの皆さん。
あの時、ドラマのような人生を提供してくれたシンクタンク。

そして、業務提携先など関係各所の皆さんのおかげであると、
心の底から思えています。


これから先、私のベクトルとして、シンクタンクを始め、
お世話になった方々に、恩返しをする。というのも良いと考えましたが、


昔の私がそうだったように、夢を叶えたい、現状を打破したいと考えている方々は
たくさんいるかと思います。

私がそうしてもらったように、私があなたのシンクタンクになれれば、
お世話になった人達にも、違ったカタチでの恩返しが出来ると信じています。

というのが、現在の 市川哲也 の信念です。



そして、これから先、時代がどれだけ変わろうと、


共に学び、共に成長し、共に豊かになる。


という、私のテーマは変わらない事を ここにお約束 致します。




座右の銘:

 〜 為せば成る、為さねば成らぬ何事も
      成らぬは、人の為さぬなりけり 〜 上杉鷹山



私にとって 仕事 とは

人を成長・飛躍させる 糧 ( カテ ) であるべきと考えています。

市川哲也 サイン

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